翳りゆく夏
著者:赤井 三尋
刊行:2003年8月
評点:★★★★★★☆☆☆☆ 6点
ストーリー:ある週刊誌がスクープ記事を掲載した。「誘拐犯の娘を記者にする大東西の『公正と良識』」。20年前に発生した誘拐犯は事故死し、さらわれた嬰児は未発見のままという誘拐事件。東西新聞の採用内定者の中に、その誘拐犯の娘が含まれていた。社長の命令により既に時効となったこの事件を再調査することになった梶。調査を進めていくうちに、梶はこの事件には共犯者が居たのではないかと感じ始める。元警察官や病院関係者、そして被害者への取材を重ね、ついに梶は事件の真相を突き止める。20年間封印されつづけた真実が明らかになったとき、意外な人物が自らの罪を告白する。
感想:犯人はとても意外な人物だった。作品を読みながら、「この人、もっと作品中で登場しても良いのにな」と何となく感じていたあの人物がまさか犯人(と言って良いのかな?)だったなんて。全てが明らかになった時、運命の皮肉を感じてしまった。なぜ、今更あの娘が自分の前に現れなければならないのか、しかも既に時効が成立してから。もっと言うなら、なぜ自分があの誘拐事件に関わらなければならなかったのか。しかも自分が全く気付かない内に。でも犯人が悟っている通り、その原因の一部は自分にもあり、結局自分が蒔いた種に20年間縛られ続けていたのだ。「天網恢恢疎にして漏らさず」ということか。
この作品のポイントの一つに、「既に時効が成立している」ことが挙げられると思う。時効が成立した事件を今更洗い直して、例え新たな真実が出てきたところでどうなるのか。まして、新たな真実が出てくる可能性は限りなく低いのに。普通はそう考える。でも、ジャーナリズムを追求する者にとって、時効など関係ないということなのだろう。ジャーナリストにとって大切なのは「真実と何か」であって、ジャーナリストだけでなく当事者にとってもそれこそが求め続けるべきものなのだ。それは、決して「時効」という時間軸で処理されるものではない。「もうすぐ時効を迎える事件を追う」なんていう安っぽい設定ではなく、既に時効を迎え当事者以外には風化してしまった事件を掘り下げ、罪を追及することは出来ないけれど真実を明らかしようとするジャーナリズムの本質を描くのは、作者自身がそのジャーナリズムを生業とするマスコミに身を置いているからかも知れない。そして既に時効を迎えているからこそ、最後に真実が哀しく迫って来た。
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