走るジイサン
著者:池永 陽
刊行:1999年1月
評価:★★★★★★☆☆☆☆ 6点
ストーリー:頭の上に猿がいる。今年69歳になる作次には確かに見える。でも他人には見えない。「この年になって、やっぱり頭がおかしくなったんだろうか」。改めて考えると、きっかけは息子の嫁の京子さんにほのかな恋心を抱いてからのような気がする。
感想:猿を頭の上に乗せたじいさん。設定がかなりシュールだったのでどんな展開になるのかと思って読み始めましたが、内容はその設定から抱くイメージとは異なり、重いものでした。
「老い」をテーマに書かれている訳ですが、自分の老後や自分の親の老後を思い起こされて「うーーーーん」とマジモードで考えさせられます。私はまだ「老人」ではないので想像するしかありませんが、きっと老人も恋をするのでしょう。それが息子の嫁だったとしても、確かに不自然ではありません。私も老人になったら、「自分は家族に疎まれているかもしれない」なんて劣等感を抱くのでしょう。その時に十分な経済力を持っていれば別ですが、そうでなければ肩身の狭い思いをしているかもしれません。そして自分の老いをふとしたことで実感し、確実に進んでいく自身の老いに悲しんだりしてるのでしょう。
まだ若い(つもりの)私には、「老い」という言葉からはネガティブなイメージしか湧いて来ません。本作の主人公 作次も「元気ハツラツ爺さん」って感じではありません。頭に猿なんてファンキーなものをのっけてるくせに。人生の幕がもうすぐ下りようとしている寂しさが漂ってます。今まで一生懸命働いて、一生懸命生きてきて、オンボロだけれど自分が建てた家に住んでいるのに、同居する息子夫婦に気を使って小さくなって生活しています。決して虐げられている訳ではありませんが、自由気ままとは程遠い生活です。世の中の多くの老人がそうなのかも知れませんが、なんだか寂しくなりました。
本作を読んで、イケテル老後をおくるために必要なものは「お金」「恋心(スケベ心)」「あつかましさ」の3つだと思いました。好きに使えるお金を十分に持って、周りの目を気にせず異性に対してうつつをぬかし、楽しいことだけを考えて、好き勝手に生きる。でもこれってなかなか難しいことだとも思います。「お金」はそれまでの努力が必要ですし、あとの二つはハッキリ言って才能が必要です。歳をとってただでさえ後ろ向きになりがちな気持ちを常に前向きに保ち続ける才能が。この3つを併せ持つ人でイメージするのは高田純次でしょうか。むちゃくちゃ楽しく生きてそうですから。あと何十年後には、私も高田純次のようになれているでしょうか?
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